番外編1・夢の感触

これは3人が出会ってすぐの頃のお話。
考古学者の卵・フィリーと魔術師リル、そして金色の幻獣・アロウが宿屋に泊まった翌朝。

『おはよう、朝だよ。そろそろ起きて。』
優しい声が耳を打つ。
「うーんあと5分…」
フィリーは寝ぼけ声で返しつつ、枕元を探る。
今日も推しの声は甘くて素敵だ。
通信端末にセットした目覚ましを止めるべく手探りをしていると、何か大きな塊に手が触れる。
端末はもう少し小さいはずだけど…そう思いながらごろんと寝返りを打つと、今度は背中に硬い感触。
「……壁ってこっちだったっけ?」
重たい瞼を頑張って開いてみると、目の前には壁。
じゃあ後ろには何が?
「荷物置いてたっけ……?」
反対側にごろん、とまた転がると、その謎の塊が視界に入ってきた。
「…んん?」
寝転がったフィリーから見ると、ちょっとした壁だ。
黒い布に覆われていて、視界いっぱいに広がっている。
端まで見ようと首を捻ると黒い布から覗く肌色が見えた。
襟から覗く日に焼けた首周りと、がっしりした鎖骨。
「……は?」
当然その先には首があって(なかったらそれはそれで怖い。)、頭がある。
視線を下げれば、黒いズボンに覆われた長い足。
人間だ。
「はああ!?」
慌ててさっき掴んだままだった”端末ではない何か”を見れば、そちらは人の手だった。
放り出すように手を離すが反応がない。ということは寝ているのか。
あたりを見回すがここはフィリーの部屋だ、間違いない。
だから他の人間がいるはずない。
…つまり、知らない人間が、自分のベッドで寝ている?
そう認識した瞬間、フィリーの思考回路はプツンと切れた。

「ぎゃああああああ!!!」
廊下の端から端までフィリーの絶叫が響きわたる。
ばんっ、と大きな音を立ててドアを蹴破るようにフィリーが転がり出てくる。
一拍置いて、隣の部屋のドアが空き、部屋の主が顔だけ出す。
「どしたのフィリー、朝っぱらから元気だね?」
「リルううう!!」
体当たりする勢いでフィリーは隣の部屋に突撃した。
「わー朝から熱烈だあ」
のほほんと返す隣室の人間ーリルは、少女のタックルを軽々と受け止める。
リルを見上げたフィリーは涙目になっていた。
「不審者!不審者がいる!!」
「不審者?おかしな気配はないけど?」
「いたもん!!」
フィリーはリルを盾にするように押し出して自分の部屋へ向かわせる。
半開きの扉にリルは頭を突っ込み、中を伺う。
一瞬その後ろ姿がピクッと揺れた、気がした。
「いるでしょ?」
ガタガタ震えながらリルの背中に隠れているフィリーが尋ねると、冷静な声が返ってきた。
「いやー…いないねえ。」
「えっ?」
リルは隙間からスッと部屋入ると、扉をパタンと後ろ手に占めた。
その音に紛れてどん、と大きい音が一回だけした、気がしたのは気のせいだろうか。
ガチャリと扉が開き、リルがフィリーを手招く。
「何もいないよ?」
「う、うそ…」
恐る恐る部屋をのぞいてみると。
壁際のベッドにサイドテーブルと椅子、フィリーの荷物。
あとは床に跳ね飛ばされた布団が落ちているだけだった。
もちろん布団やベッドの隙間に人間が隠れられるような隙間はない。
「寝ぼけたんでしょ。」
「そんなはずは…」
キョロキョロと見回す。
窓は閉まったままだったし、さっきからのどさくさで逃げ出すような時間もなかったはずだ。
「推しの人といっしょに寝てる夢でも見てたの?」
「リュート様はあんな岩みたいな人間じゃない!!」
反射的にフィリーは叫ぶ。
「そうなんだー」
ケラケラと楽しそうにリルは笑う。
なんだかものすごいツボに入ったように過剰に笑っているのをフィリーは訝しんだが、もう一度ベッドを覗き込んであることに気がついた。
「あれ、アロウがいない。」
いつも連れている人語を話す幻獣が、定位置の枕元にいない。
「アロウー?どこいったのー?」
足元やベッドの下を覗き込んでもアロウはいなかった。
「散歩でも行ったんじゃない?」
面白がるような声でリルがいう。
「リルじゃあるまいし、アロウが黙って出て行くわけないじゃん」
「随分な言われようだ」
降参、といった感じで手を掲げてみせるリル。
「リルの部屋にはいなかった?」
「いないね」
肩をすくめてみせるリルに、狐に摘まれたような顔になるフィリー。
しかしいないものは仕方ない。
「じゃあちょっと探してくる」
ベッド脇に散らばっていたブーツを集めてコートを羽織ると、フィリーは廊下に出ていく。
リルに探せといったところで真面目に探さない、というのをこれまでの経験で学んでいた。
たぶんすぐ二度寝に戻るだろう。
「いってきまーす」
廊下に出てから、フィリーは首を傾げる。
「本当に夢だったのかな?」
彼女の推し俳優の優雅な姿とは異なる、大きな人間。
「なんか見たことある気がするんだけど…ま、気のせいか」
幻となった光景を追いだすように頭を振ると、フィリーは階段を降りて行った。
「アローウ、どこいったのー?」

フィリーの声が遠ざかっていくと、リルはドアを閉めた。
「…さて。」
パチン、と指を鳴らす。
するとベッドのすぐ上の空間に大きな塊が現れる。
魔法で隠していた物体だ。
隠蔽魔法を解除すると同時に重力制御が解除され、それはベッドの上にどさっと重たい音を立てて落ちた。
…人間だ。さっきフィリーが目撃したのと同じ。
黒い上下に、長い手足。長身の男性だった。
目は硬く閉じられ、ぴくりとも動かない。
「とんでもないタイミングで変化が解けたもんだね、“アロウ”」
リルは動かない男ー人間の姿になったアロウに呼びかける。
普段小型の犬サイズの幻獣は今、魔力切れを起こして動かなくなっていた。
ぼすん、とベッドに腰掛けるとリルはアロウの頭に手を伸ばす。
黒い短髪に彫りの深い顔。頬には3本の太い傷が走る精悍な顔立ち。
「…君は誰だい?」
髪に触れると短い髪の硬い感触がチクチクと手のひらを刺す。
ふと、ひとつの感触を思い出す。
背負われて肩越しに見る景色、硬い髪の感触、温かい背中。
それはいつことだったろう?
だが、更に記憶を辿ろうとしても、波が引くようにその感触は消えて行ってしまう。
リルには今、昔の記憶がない。
失ったというよりは、忘却したのに近い。
もう取り戻せない記憶だ。
だが、この人間には、何か懐かしいものを感じる気がする。
「君はいつも何も言わないね」
アロウの方は何か知っている風だったが、今のところ何も語らない。
どうして幻獣の姿と人の姿を行き来しているのか、リルのことを知っているのか。
聞きたいことはあったが、今はまだその時ではないのだろう。
ため息をつくと、リルは全く動かないアロウの頭をふわっと撫でた。
光の粒子がアロウの体を包み、散っていく。
リルが魔力を分け与えると、アロウの硬い表情がほぐれ瞼が微かに動いた。
しばらくすれば動けるようになるはずだ。
アロウが身じろぎし、ごろんと寝返りを打つ。
そしてー
「…俺の嫁、可愛い…」
寝言を言いながらぎゅっとリルの腰に抱きついた。
ぴきっとリルのこめかみがひきつる。
「ー誰が嫁だっ!!!」
どがん、と凄まじい音を立ててアロウが蹴り飛ばされる。
気絶しているのか声もなく床に転がり落ちた。
「あーもーやだやだ。さっさとワンコの姿に戻ってくれる?」
ガッと乱暴にアロウの頭を掴むと、魔法を発動させた。
光がアロウの体を包み、それは小さくなってーやがて金色の毛並みの獣になった。
リルは毛玉となったアロウを片手で掴むとベッドに放り投げて、立ち上がる。
ふと記憶の端をまた掠めるものがあって、ベッドの上の幻獣を振り返る。
「君の嫁は……」
それを告げるのも、今ではない気がした。
「おやすみアロウ、今はまだ、ね」
そう代わりに告げて、リルは部屋を出た。