仕事と優先事項/早蕨足穂様
1
受付の女性から依頼の承諾書を受け取って、そこにサインをする。辿々しい筆跡ではあったが、青年――アロウは満足したようだった。その様子を見て、シンも安堵する。依頼を受けるとき、書類に一筆書くことがあるとは知っていたが、まさか自分が書くことになろうとは。
城壁都市ニュクス。冒険者協会に所属するアロウとシンは、定期的に訪れる、とある依頼を承諾したところだった。
近くの村への定期的な物資輸送。その護衛こそ、今回の依頼である。というのも、隣村とのあいだに架かっている橋が水害で落ちてしまったため、再建までは狭い旧道を通る必要があるのだ。道が狭いということは、それだけ通るのにコツがいる。加えて、迂回すればそれだけ盗賊や魔物に出くわす可能性が高くなる。当然、護衛も必要になる。
「簡単な仕事なの?」
協会の建物を出て、シンはそう言って首を傾げた。
「まあ……そうかもな。荷の積み下ろしと護衛だけだから。何もなければの話だが」
アロウの話によれば、これまで受けてきた同じ依頼は、特に異変もなく穏やかなものだったという。普段している荷運びの依頼と変わらないそうだ。今回もそうであったらいいと、シンはぼんやり考えていた。仕事が嫌だ、というわけではない。日銭を稼ぐには対価が必要で、きちんと報酬に見合った仕事をこなすことが望ましい。だからこれは、荷物が不必要に危険に晒されないように、という祈り。
「何もないといいね」
「ああ」
シンの言葉に、アロウは頷いた。
「そういうことを言ってると、大抵ひどい目に遭うけどな」
2
がたがたと音を立て、ロバはゆっくりと荷車を引く。
シンとアロウはその後ろを歩きながら、周囲を警戒していた――正確には、アロウは警戒していた。シンは、まだどこを見ればいいのかわからない。何かを運ぶ仕事ばかりこなしてきて、まだ護衛の仕事に慣れていないからだ。
荷車は順調に進んでいる。周囲はひらけていて、不審な影もない。人の影も、獣の影もだ。この調子なら、無事に終わりそう。アロウも脅かしていただけか、とシンは思う。
「あとどのくらい?」
シンは隣を歩くアロウに尋ね、御者を見上げる。御者は壮年の男で、アロウとは顔見知りのようだった。
「あと半分だ。あんまり気を抜くなよ」
「わかってるって」
む、と唇を尖らせ、シンは周りに目を向け直す。
遠くに森があるくらいで、本当に何も――と、そのとき。
「何か来る!」
御者が叫んだ。二人のあいだに緊張が走り――荒々しく何かが駆けてきて。荷車に突っ込み、積荷を弾き飛ばす。
「うわっ……!」
猪の群れだ。積荷を荒らし、一匹はそのままシンのところへ。アロウは舌打ちをして矢をつがえ、シンを狙う猪の脳天を撃ち抜く。
そのあいだに猪の群れは食糧の包みのいくらかを奪ったまま、森に逃げていった。魔獣の一種だろう。二人は顔を見合わせ、どちらともなく頷いて後を追いかける。
走りながら、シンは叫んだ。
「なんで庇ったんだよ! ボクより積荷が――」
「今は荷を取り返すことだけ考えろ!」
アロウに叫び返され、シンの怒りに火がつく。胸の内が燃えるように熱くなって、頭に血がのぼる。こんなことをしている場合ではない。けれど、気になってしまう。
アロウはボクでなく、荷物を守るべきだった。こんなにも簡単な依頼をこなせないなんて、おかしい。こんなの、普段のアロウじゃない。普段のこいつはもっと冷静で、実直で、依頼は確実にこなすのに。
「おかしいよ、ボクなんかより仕事のほうが……!」
「『なんか』じゃない。シン」
辺りを哨戒しながら、アロウは真面目な声色で告げる。シンは抜き身の剣のような声に、びくりと肩を震わせた。
怒っている、のだろうか。だがシンも、ここまで言ってしまった以上、後には引けない。
「アロウのバカ! 守ってもらわなくたって、なんとでもなったのに! 子ども扱いするな!」
「だから今は――っどけ!」
「え――――」
アロウが矢をつがえるところが見えた。シンはこちらに向けられた鏃に何かが塗られているのを認め、咄嗟に前方に体を投げ出す。前転して体勢を整えれば、アロウは猪の眉間を違わず貫いているところだった。
それを皮切りに、猛然と猪が襲いかかってくる。双眸は狂気に満ち、およそ穏やかとは程遠い。アロウは次々に矢をつがえ、一撃で魔獣を仕留めていく。
アロウは、今では廃れつつある魔法を使いこなしている。たとえば、魔除けの香や魔除け文字の護符を作ったり、見えない糸で物を動かしたり――今みたいに、魔物を一撃で倒せる霊薬を、鏃に塗ったり。
だからこれもそうだ。シンはそれをよく知っていたから、咄嗟に避けることができた。
矢を装填していても、魔獣は待ってくれない。代わりにシンが短剣を投擲し、猪の目を穿つ。怒声を発して身悶えする猪の眉間を、アロウの矢が撃ち抜いた。
これが最後の一匹だったらしく、あたりは静かになる。アロウは猪の目に突き刺さったシンの短剣を回収し、付着した血を払うと、それをシンに返す。鞘にしまって、ふう、と息を吐いた。けれど、声をかけられない。シンは慌ててそっぽを向き、奪われた荷の残りを少しだけでもと回収して、森の出口に歩き出す。アロウの気配も後ろからついてきている。
荷車に戻ると、他の担当者が手伝ったのだろう、積荷は半分ほど積み直されていた。
「ねえ、これだけしか取り返せなかったんだけど……」
シンは申し訳なさそうに声をかけたが、御者はぱあっと目を輝かせて何度も礼を言った。
「ありがとう!」
「え、で、でもこれだけしか……」
「構うもんか、ないよりましだ」
それから、シンは散乱した残りの荷物を積むのを手伝った。こうした荷運び、積み下ろしはよく仕事としてこなしている。護衛の仕事よりよほどやりやすい。
「いやあ、アロウさんのおかげで被害も最小限で、あんたのおかげで積荷も戻ってきた。僥倖、僥倖」
「ぎょーこー?」
「思いがけない幸運、って意味だよ」
御者の男はぱちりと器用に片目を閉じてみせ、御者台に飛び乗る。再び歩き出したロバの隣を歩きながら、シンはふと考えた――なぜ、アロウがボクを守ったか。
アロウは仕事を確実にこなす男だ。律儀で堅実で、実直。そんな彼が、荷物よりもシンを選ぶとは思えない。
であれば。アロウがシンを守るとすれば、それはつまり『守っても問題ない』ときだけ。
被害は、最小限だった。最小限に抑えることができた。確かに、猪の群れは荷物を吹き飛ばしシンを襲って、食糧が入った包みのいくつかを咥えて――そのくらいの知能はあったようだ――持ち去った。しかし、それだけだ。人的被害は一切なく、荷物の損害も、木箱の一部が破損したりした以外はほとんどなかった。
アロウは、あの一瞬でそれを見抜いたのかもしれない。だから、シンを庇うという選択肢を選びとれた。
シンは自分の腹の底にもやもやとしたものが溜まっていくのを感じ、むう、と唸る。眉間に力がこもった。
謝らなくては、ならないだろう。
自分の判断も間違ってはいなかったが、アロウが間違っていたわけでもない。あのとき「バカ」と罵ったのはシンだけだ。だったら、謝らないと。
シンの胸に、暗い影が落ちている。怒ってるかな。守ってやったのに、とか思ってるかも。シンはぐるぐると答えの出ない問いに頭を悩ませながら、歩くスピードを落とし、後方から荷を警護しているアロウの隣に移動する。
「どうした?」
アロウは、何事もなかったようにシンに声をかけてくる。調子狂うなあ、と内心でぼやけば、ため息が漏れた。
「あの……さ」
「うん」
穏やかな声で言うから、余計に調子が狂いそうになる。
「あのときボクを庇ったのって、なんで?」
「なんでも何も……まだ怒ってるのか?」
アロウは、ふ、と小さく笑った。子ども扱いされているようで、またむっとしてしまう。シンはぶんぶんと首を横に振って、違うよ、と答えた。
「アロウなら荷物を、仕事を優先するって思ってたんだ。だからボクを庇ったとき、子ども扱いされてるって思って……悔しかった。でも、違うんだよね?」
彼を見上げる。アロウは瞳だけで、優しく続きを促す。
「ボクを助ける余裕があったから助けた。そうでしょ?
アロウは仕事よりボクを優先したんじゃなくて、その上でボクを優先することができたから、そうした」
「違う?」シンは念押しのように付け足して、アロウの目をまっすぐに見る。彼の赤い瞳は、一度目蓋に覆われて、ややあってまた開かれる。
「そうだ」彼の声は諦めていた。「仕事は仕事だからな。何より優先するべきは、荷物だった。だけど相手は魔獣で、それほど荷物に被害はない。で、お前が一番狙われる位置にいたんで――」
「そうなの?」
「そうだよ。あれは猪だったろ。だから最後方のお前に、一直線に突っ込んできた」
なるほど、と頷くシンに、アロウはふっと笑う。荷車はそろそろ隣村に到着しそうで、御者が二人を振り返って様子を窺っている。シンは彼に手を振って大丈夫だよと示し、アロウと話を続けた。
「それで?」
「それで……」
シンは視線を下げ、でこぼこした地面を眺める。
謝らなくては。アロウはただ守ってくれたのに、バカだと罵ってしまったのだから。彼が怒っていなくても、自分の中で消化するために。
「……ごめん。ありがと」
言えた。シンは人知れず安堵して、胸を撫で下ろした。
「ああ」アロウは目元をやわらげ、微笑む。「偉いな」
「子ども扱いしてるー」
むう、と唇を尖らせると、アロウは愉快そうに喉の奥を鳴らす。シンの前では、アロウはよく笑ってくれるように思う。少なくとも、他の人の前よりは。それが自分の勘違いでないことを祈りながら、シンは込み上げる笑いに身を委ねた。
3
ふう、と滲んだ汗を拭い、シンが息をついた。アロウも小さく息を吐く。
荷下ろしは意外にも手早く済んだ。簡単な仕事として、何度も荷運びの依頼を手伝わせていたのが功を奏したのかもしれない、とアロウは思った。
シンは最近では読み書きも少しずつできるようになって、いつでもとはいかないまでも、じきに一人で生活できるようになるだろうと思われた。シンには魔法の才能がある。アロウよりも上手く、香や薬を作ることができるようになる――そんな確信がある。自分の寿命が尽きる前に、シンに全てを教えて、後に託したい。そうでなくても、シンの隣で、教えて導いて、守れるうちは、守ってやりたい。
「仕事自体は楽勝だったね、アロウ」
アロウは無邪気に笑うシンに「そうだな」と微笑みかけ、報酬を麻袋にしまいこんだ。シンの取り分は三分の一だ。
銅貨を手渡すと、シンは嬉しそうに声をあげる。
「やった!ねえ、帰ろう。お腹すいちゃった」
「ああ、もちろん」
シンにとっては、あの宿の二〇六号室が『帰る場所』であるらしい。あの裏路地でその日暮らしをして、日銭にも飯にも困っていた少年とは、もう違うのだ。
アロウはシンの頭に手を置いて、わしゃわしゃと撫でる。
「わっ、な、なに?」
「なんにも。飯でも食いながら帰ろう、シン」
「ほんと? じゃあホットドッグがいい!」
跳ねてはしゃぐシンを微笑ましく眺めながら、アロウは周囲でホットドッグを買える場所を思い出す。確か、角を曲がって突き当たりを左に?ったところだったはず。
アロウはシンを連れて歩き出し、思い出した道順通りに店へ辿り着くと、シンからホットドッグ一つぶんの銅貨を受け取り、ホットドッグを三つ買った。
「一つ多くない?」
「俺から」
「えーっ、なんで?」
思いがけず増えた食事に喜びを隠せない様子で、シンは目を輝かせている。帰りは荷物を乗せてきたロバ車に乗せてもらえることになっているので、食べながら帰ることができる。アロウはホットドッグを袋から出し、三つのうち一つをシンに手渡した。
「うちは一泊めしつきだ、忘れたのか?」
「でも、まだ今日のぶん払ってない」
「どうせ払うだろ」
「そうだけどさあ……」
シンは腑に落ちないといった様子で、アロウの顔とホットドッグを見比べている。本当は払ってもらわなくたっていくらでも泊めてやるけれど、シンは律儀に銅貨三枚を払い続けている。先ほど手渡した銅貨から三枚を取り出し、シンはこちらに突き出した。「ん」
「これでもらうね」
「はいはい」
アロウは呆れ顔で笑いながら銅貨を受け取り、ロバ車の近くまで戻ってくると、荷台に乗るシンを手伝ってやった。それからひょいと飛び乗って、御者に挨拶をし、ゆったり歩き出すロバを眺めて――ホットドッグにかぶりついた。
リピートしちゃったvV
早蕨足穂様(@Taruho_Sawarabi)にSKIMAでご依頼して『射手と狼少年』の二次創作小説も書いていただきました。
弓使いの"アロウ"とシンのお仕事風景です!
本編同様、シンはまだアロウとの関係をビジネスライクに捉えている段階。
甘やかされると「子ども扱い!」ってむっとしているのが可愛いですvV
でももう帰る場所は居候しているアロウの部屋って思ってる。雪解けはきっともうすぐですね…
自分だと心理描写は飛ばしがちなので、悶々としているシンの内面を丁寧に書いていただけたのが嬉しかったです。
むずかしい言葉はまだわからないのが可愛いね…!(親馬鹿)
この再現度の高さがリピートの理由ですvV
そしてアロウが終始大人でかっこいいー!
下手に言葉でフォローするんじゃなくて、シンの気持ちが追い付くのを待ってる節があるのが解像度高くてすごいなと。本当にこういうイメージです。
それと戦闘アクションもあって、冷静な判断と動じない強さを見せているのがいい…!(自分ではまだ書けていないので)
シンならちゃんと避けるって見越して動いてるのも、バディらしさが出ていて嬉しいです。
うちの子の素敵なお話をありがとうございます!宝物です!
早蕨様の一次創作小説はこちらで読めますので是非↓
https://kakuyomu.jp/users/sawarabitaruho/works